食いモノを巡る戦い −その4−


さてー
アメリカ人にワインリストが渡され、オレがテーブルの対面に座っている。
ヤツはメガネを取り出し、おもむろにワインリストを開く。

”どこかで見たことのあるシーンだっ”

とオレは記憶を探っていた。

それは実際に見たシーンではなかった。
オレがまだ駆け出しの社会人だったころ、日本橋の裏町の飲み屋でオレが籍を置いていたセクションのボスから ”聞いた話” のシーン に違いなかった。まだ社会人として売り出し中だったオレにはその話は思いのほか印象的で、記憶中枢の底にガラスの破片のように突き刺さっていたのに違いない。
アメリカ人+ワインリストがその眠っていた記憶を呼び起したのだー

ボスから駆け出しのころ聞いたストーリーというのは 香港 が舞台だった。
その頃の香港は、中国への返還を数年先に控えていたが、まだ英国の委任統治領だった。英国は、すでに政治的な影響力を失っていたが、商流はガッチリ押さえている。
だからオレの所属している事務所の香港の代理店は I という英国系商社だった。香港担当だったボスは香港に出張し、香港駐在の英国人と取引をしていた。
その取引を終えた夜からストーリーが始まる。

英国人とのネゴを終えたボスは、夕方投宿していたホテルに戻された。
その英国商社の駐在員からその晩、バンメシに招待されていた。
もともとファッションにはからっきし興味のないボスは、昼と同じスーツ、同じネクタイ、同じシャツで一階のロビーで出迎えのクルマをまっていた。
やがてクルマが来た。
ホストの駐在員は乗っていない。ドライバーだけだ。
そのクルマに乗せられ、行った先は、香港を代表する高級住宅地レパルスベイの邸宅。そこが英国駐在員の自宅だった。
やがて、昼間の堅苦しいスーツからディナージャケットに着替えた駐在員が、長身の着飾った女房と一緒に車に乗り込んできた。
向かった先は、Rという九龍側にある高級ホテルで、そこのフレンチレストランの個室が用意されていた。
香港島サイドを一望にできる部屋だ。

”この時点でオレは雰囲気に負けていた”

と、ボスがオレに言ったのを覚えている。
ヨレヨレのシャツ、ドブネズミ色のスーツ、昨日と同じタイ、
相手はディナージャケットにアホくさいくらいに着飾った長身の女房ーー

やがて、百万ドルの夜景を背景にテーブルに着く。
恭しくウエイターがワインリストを持ってきて、英国人に渡す。
それを開いてチラリと見る。
やがて英国人はボスにワインリストを渡しながら言った。

”アンタがゲストだ、好みのものを選べ、”

ボスが好きなアルコールは薩摩焼酎でワインではない

‘あっ、そのそのそのぉーー‘

ワインなどマトモには飲んだこともないー
ワインリストを開いても字が筆記体でマトモによめないー

着飾りMr&Mrs VS ヨレヨレスーツ+汗シャツ
正面に傲慢さを全身に表している英国人夫婦ー
背後には百万ドルといわれる香港ベイの夜景ー
手には異常に重厚なワインリスト

”だめだッ、いかん、いかん”

もうシドロモドロで、ボスはメンタル的に急降下した。
それを冷たくシニカルな表情で見ていた正面の英国人が言い放った。

「よかったらワタシがエラびましょうー」

「あっ お願いしますゥ」

ボスはほとんどリストを見ることもなく、それを正面の威圧的な英国人に渡した。

そして、ワインリストを取り戻した英国人は、さもそれが当たり前のプロセスのように
ゆっくりとページを開いていき、控えているソムリエに二言三言何かを聞き、それからゆっくりとワインのオーダーを入れた。

ボスが飲み屋でオレに話してくれたことで印象的だったのは、このプロセスの部分ではないー
印象的だったのは、このストーリーを語ったあとボスがオレに言ったことだ。

「これは英国人に仕組まれていた」

「ヤツはオレにヤツが女房連れであることを事前に言わなかった」

「オレはヤツがクルマで迎えに来ると思っていた」

「オレを車に乗せてヤツの邸宅を見せるようにしたのも
たぶんヤツの作ったストーリーだ」

「ワインリストをオレに渡したのも儀式に過ぎない。ヤツは最初からオレがマトモに
ワインを選ぶとは思っていない」

「日本人が欧米型フォーマルに弱いのも知り尽くしている」

「フレンチにセットしたのも Rホテルのメインダイニングに設定したのも
その構成要素のひとつだ」

 

”では何のために?”

 

「落ち目の英国商社のせめてもの意地悪だろうー、たぶんそれだけだ」

 

さて、オレの目の前でワインリストを開いているアメリカ人がおもむろに言った。

「今日はアナタガゲストーデス」
「どうかオコノミノモノ エランデクダサイ」

オレはワインリストを受け取った。
それを開かずテーブルに置いたー
そしてソムリエには一瞥も与えず眼前にいるアメリカ人に言った

「オレの好みはーーーー」

アメリカ人がオヤッという表情をしているのが目に入る

「シャトーラフィットだッ」

アメリカ人の顔が ”ギャッ” となった。
ソムリエもあせっているのが横目でわかる。

オレはワインなど知らない。
知っているのは赤玉ハニーワインだけだ。
いや一つ知っているー名前を。

それは ”シャトーラフィット” だ。

なぜ知っているかというと
007のジェームスボンドが好きなワインだったからだ。
イアンフレミングを読み込んでいたオレは、このワインの名前は完全に頭に入っていた。”読んだ” だけでなく ”見た” こともある。いつだったか新宿のデパートの
”全国駅弁大会” で好物の小田原の小鯵押し寿司をやっとの思いで買った帰りに、たまたま迷い込んだワインセラーでこのワインをこの目で見たのだ。
値段を見たオレは心の底からおったまげた。

さてー
ソムリエはそれでも落ち着きを取り戻し、囁くように言った

「残念ですがラフィットはおいてございません」

あたりまえだ。
文京区の雑木林のなかのレストランにラフィットがおいてあるわけがないではないかー
あったとしてもオレが払うわけではない。
最低でも5万、年代によっては20万はする。

「そうか」

と言ってオレはワインリストをアメリカ人に差し出した。

「今日はアンタが選んでくれていい、任せる」

ヤツは焦った表情でリストを受け取り、ギョロギョロ眺め、イタリアのせいぜいキャンティより少しいいくらいの、つまりヤツの懐具合とレストランに見合ったワインを選んだ。
このプロセスのなかで ”場の主導権” はオレが握り、ワインテイスティングというオレが避けたい儀式は、ヤツに押しつけた。

さて飛行機は、サンパウロ空港に滑り込んだ。
オレはバゲッジクレームで荷物が出て来るのを待ちながら、勝利のイメージトレーニングを終えた。そしてタクシーに乗り、もはや東京と変わらない渋滞の中をホテルに向かったていた。

−−−− 続く −−−−

 

by フェリックス 2008年12月

 

 

 

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