理力(フォース) 2


さて、「サンパウロ〜ゴイアニア〜リオ」に続き、甥とマナウスに行くことになった。オレはマナウスでは仕事があったので、甥には一人で動いてもらうことにした。マナウスではヒカルドンとマナウスでトラベルエージェントを経営するS君に世話になった。二人とも The Amazon Touch のメンバーで、S君はアマゾンのエコロッジの経営者でもある。

今回の甥の旅のなかでマナウスがクライマックスになるだろうとオレは思っていた。今回は東京のアニキから特に事前に

「XXは何不自由なく育ち大都会しかしらない、普通はなかなか経験できないことを体験させてほしい」

と申し入れがあったのだ。そのためのアレンジをヒカルドンに頼んでおいたのだ。

だからオレは、二つの小さな旅を用意した。ひとつはS君に頼んだ「アマゾンロッジの旅」。マナウスからすぐのところ、アマゾン本流に面したところにある観光ロッジに泊まり、ジャングルトレッキングとかワニ狩りとかをする、いわゆるアマゾン観光の”定食コース”のツアー。日本語のガイドもついて至れり尽くせりのツアーで、団体観光客も多い。

もうひとつは、ヒカルドンに頼んだ一泊の”ツアー”。マナウスから陸路を庶民が乗るバスで2時間弱。川のほとりの小さな町に着いて、そこにヒカルドンの知り合いのブラジル人が待っていて、彼にくっついて川に出たり町をぶらぶらしたり、とくにきまった予定もなく過ごすー というもの。

もちろん日本語も英語も全く通じない。ガイドもいない。第一、観光客などいないアマゾン各所に点在する小さな町の一つすぎない。その家にホームステイ。ホームステイといってもアメリカやオーストラリアの”白人家庭で朝は家族でパンケーキ”といったイメージとは3万光年の隔たりがある世界だ。アマゾン河流域の川の民の家に泊めてもらうー それも貧しい川の民の家にー という企画。

さて、手配をS君に頼んだアマゾンのロッジのツアーから甥が帰ってきた。至極満足していて、たまたま一緒になった観光客とも仲良くなって、ピラニアも釣ってとても楽しかったらしい。そうだろうとオレは思った。しかしオレは同時に、これは何の特別な経験にもならないことを知っていた。”普通の観光”以上でも以下でもない、それ以上なにもない。それを否定するつもりはないが、本当のアマゾンの”文化”に触れることは、この種の観光ツアーではできない。

さて翌日、ヒカルドンアレンジの”アマゾンの民の家ホームステイ”に甥は出かけていった。バスターミナルまで甥をヒカルドンと連れて行き、庶民でごった返している中で切符を買い、車掌の女性に「xxxxで下すように」といってバスに乗せた。

ただの路線バスで途中下車するわけだ、そのバス停でヒカルドンの友人が待っているという段取りだ。もしバス停を間違えて降りることができなったら、もし友人が来ていなかったらー ということもありうる。ブラジルでは十分ありうるのだ。彼はそのことに気づき、やや緊張していた。その様な時は自力で英語も日本語もガイドもいない世界でサバイバルしなければならない。

少なくとも自分でマナウスに戻るか、何とかして友人を探すか、探してもらうか、自分で日程を切り替えて勝手に旅するかー いろいろと【option】を考え一人で決めていかなければならない。オレはこのようなリスクについてバスターミナルで甥にインストラクトした。そのようなことを突然言われ、バスに乗る時の甥はかなり緊張しているように見えた。ここからは日本人やガイドやオレのプロテクトー は一切ない世界なのだ。

さて一泊の予定が二泊になって、甥は無事アマゾンの小さな町からマナウスに戻ってきた。

「どうだったか?」

と聞いたら、一応 ”楽しかった”と答えたが、それはおそらくオレやヒカルドンに気を遣った答えで、本音はそうでもないように見えた。そしてその日、二人になったとき何があったかいろいろ聞いてみた。彼の話はやはり Por Que? 何故?の連続だった。

「なぜボクが釣りをしたいのに彼ばかり釣ってなかなか釣らせてくれないのか?」

「なぜすぐ戻ってくるといって、待っているボクを一時間以上も待たせるのか?」

「なぜ予定がハッキリしないのか?」

「なぜ朝のいい時間に川に出ないで、ゴチャゴチャしているのか?」

「なぜ一泊でマナウスにボクが帰るのを知っているのにバスの時間に遅れるように川から戻ってくるのか?」

「なぜ XXXXXXX ?」

この気持ちをオレはよくわかった。かつてオレが東南アジアに入り浸っていた20代の頃、そしてブラジルに住み始めた頃は、”Por Que 何故、どうして?”の世界で苛立ちまくっていた。いまも苛立つが、90%はそれをカットし、その理由など追及しないクセがついている。東南アジアでも南米でも全く同じだった。いくら理由を追求しても、理由などほとんどないか沢山ありすぎるかのどちらかだ。理由の追及に意味がないのだ。

多分、アマゾンのヒカルドンの友人にこの甥の質問をそのままぶつけても答えは返ってこない。理由などないからだ。なぜならそれがアマゾンだからー としかこ答えるしかない。

さて、ここで理力(フォース)が出てくる。この場合のフォースとは、原因の追及や理由の詮索など一切やめ

「どうしたらこの状況をオレの望む方向にスムースに持っていけるかー ということのみに集中する力」

のことである。徹底的に

「自分がどうしたら満足できるのか、そのためには自分として何をすべきか」

ーということを追求することにつきる。

「なぜ彼はやってくれないのか」という問題設定は甘い。「どうしたらオレが気持ち良くなるか」という問題設定から出発するのが正しい。

例えば、ヒカルドンに電話してこのアマゾンの民に

「釣りをさせろ」、「明日早く川に出たいといっている、お前はいけないなら別の船を用意しろ」と申し入れてもらうとか、

「釣り竿を無理やりモギとって絶対に返さない」とか、

ある程度様子がわかったら、「勝手に自分で好きなところに行ってしまう」とか、

しつこいくらい「オレは今日マナウスに絶対帰りたい」と言い続けるとか、

「帰りのバスの時間を自分で調べて勝手に帰ってしまう」とか、

このようなことを”ひとりで”実行できる力が”理力(フォース)”である。

つまり、”軽く人を疑い” そして、”ワガママになる” その力ー と言い換えてもいいかもしれない。”ワガママ”や”疑う”は日本では悪徳だが、ブラジルでは別に悪徳でもない。そんなオオゲサなものではなく、当たり前の軽いノリの文化にすぎない。リスクマネージメントといってもいいだろう。

この”理力(フォース)”を身につけるにはトレーニングと実地経験と時間がかかる。20歳では不可能だ。でも、トレーニングを始めるにはちょうどいい年齢だー いや少し早すぎるかー

でも、この”理力(フォース)”はあまり年をとりすぎてからトレーニングを始めても身につくことはない。

さて、このような話を甥としたあと、しばらくして彼はで日本に戻っていた。ゴイアニアからブラジリア、ブラジリアからリオ、リオから東京と、一人で飛行機を乗り継いで帰国したのだが、トラブルはリオデジャネイロで起きた。彼のフライトがオーバーブッキングで乗せてもらえなかったのだ。

だが、ブラジル経験3週間で理力(フォース)の初歩を身につけた彼は、リオで理力で交渉し、別の航空会社のフライト、しかもファーストクラスに切り替えさせてほとんど遅れもなく楽しく日本に帰っていった。

−−−− 日本ではワガママはダメだ。だが、ブラジルでは必要だ −−−−

by フェリックス 2007年9月

 

 

 

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