モテル男


今に至るまでのオレの人生を区切ってみて、果たしてどの時代が一番エキサイティングだったか柄にもなく思いをめぐらしたとがある。小学、中学、高校、大学、東京でのサラリーマン時代、そしてブラジル時代−
ブラジル時代は現在進行形なので評価が難しい。ブラジルから去った後でないと歴史的評価は定まらない。でも、「高校時代」と「東京でサラリーマンをヤッテいた時」がエキサイティングだったことは間違いない。

高校時代は「青春」らしきものであり、同級のヤローどもとの付き合いが楽しかったという一般的な思いにすぎない。しかし、「東京でのサラリーマン時代」は日本のバブル景気がその後半に出現し、なんというか”ラスベガスの夜景を遠望する”ように光り輝いていてみえる。ナマイキなオレが会社に行くのが楽しくて金曜の夜に帰宅するとき”早く月曜にならないものか”と思ったことがあるくらいだ。

オレの高校時代とサラリーマン時代に共通する感覚は、その本来あるべき枠組みから考えると「異常なほどの自由」があったことだ。

サラリーマン時代に、オレはいろいろな経験をしたと思うが、経験ではなく”オレは間近で見たのだ”と断言できることが二つある。「モテル男」「信じられないほどの美女」である。

さて、オレはカイシャをやめるまで輸出部門に籍を置き最初から最後まで東南アジアを担当していた。それ以外にも欧州、アフリカ、中近東、大洋州などいろいろなセクションがあったがオレは最後までアジア担当だった。

それらの地域担当のなかで異彩を放っていたのが中南米セクションだ。中南米の市場は当時小さかったためにそのセクションの担当者はわずか4-5人であった。このセクションのオカシイところは、普通は2年に1回くらい人事異動があり担当国や地域が変わるのに、このセクションの連中だけは動かない。オレもアジアばかりとはいえ、セクションの人数が多く何度か異動した。担当国がかわるのだ。中南米の連中はまったく異動する様子がない。みなで仲良く中南米全域を担当している。オレが入社してから退社するまで同じ連中が担当し続けていた。

オレは、アジア以外の国に行きたくて何度も異動希望に「中南米希望」と記したのだが、ことごとく却下されアジアに貼り付けられた。どうも中南米の連中はマフィアを形成し、スペイン語を武器に「中南米は英語ではダメ、スペイン語ができなければ仕事にならん!」と、必ずしも真実ではないことを盾に他者の参入を排除していたらしい。彼らの多くはスペイン語を専攻していた。それを盾にとっていたのだ。オレはこの中南米マフィアがなぜこの地域の担当に固執するのかわからなかったが、なにか特別にいいことがあるに違いないと推測していた。

この中南米セクションにYというベテランがいた。オレが入社した時は中米のどこかの国に駐在していて、しばらくして東京に戻ってきた。学生時代はラガーマンでいい体格をしていたが、顔は真っ黒でちょっとねずみに似た目をしていてハンサムとは程遠い。しかしこのY氏が「中南米で伝説のモテ男」というウワサをいろいろ聞くようになった。

その話によるとこのY氏には

「中南米のオンナが枕を抱えて飛び込んでくる」

とのことで

「コスタリカで大変だった」

「キューバではなになに」

とか色々と聞いた。そのエピソードはお金を使って遊んだという類の話ではなく、海外営業部にゴロゴロ転がっていた”飲み屋のオンナがからむネタ”とは明らかに一線を画していた。

オレはセクションが違ったこともあってこの先輩であるY氏とはほとんど話をする機会はなかったのだが、「モテ男」の異名を聞いて興味を持った。決してノッペリした美男でもないし、表情が柔らかいわけでもない、どちらかというとムッツリした顔でおよそ「モテ男」に見えない。男クサイただのラガーマンに他ならない。ただたまに何かのきっかけで話をすると、どこか語り口にユーモアがあり、ネズミのような目が一瞬柔和になり、オレにはむしろオトコに好かれるタイプに思えたのだった。

やがてオレは、彼が中南米の代理店のオーナー連中からも信頼されていることを知った。中南米の代理店のオーナというのはみな大金持ちで、政商でもありヒトクセもフタクセもあるヤツラである。彼が駐在から日本に戻り中米某国の担当に復帰した時に、その中米の代理店は、彼の担当復帰までオーダーを渋っていて、Y氏が担当に復帰した途端に一挙にオーダーをいれたなどのエピソードも聞いた。

オレがもっとも驚いたY氏をめぐる話は、南米出張から日本に帰国する折の、NY−東京路線での話である。日本のどこかの大学の学園祭が米版PLAYBOY誌のプレイメイトを数人招いた。そして、そのY氏がプレイメイトと同じ飛行機になった時のエピソードだ。

プレイメイトの一人がY氏の隣に座わった。やがてY氏とプレイメイトは話をするようになり、このプレイメイトがこのY氏をすっかり気に入った。そのあと別のプレイメイトを次々と呼んで紹介し、最後は彼の席の周りに数人のプレイメイトが集まってパーティーのようになったという。そして成田に着いて降機したあと、Y氏は左右にそのプレイメイトをはべらせて記念写真まで撮っていた。

しかしそれを威張る風でもなく、自慢するでもなく、カイシャではムッツリとしているように見えるのだった。これらの話の多くは同行の商社マンなどから伝わっていた。

さて、しばらくして面白いウワサが耳に入ってきた。

「Miss.ドミニカが来社する」

という噂だ。

聞いていみると、オレが勤めていた会社のドミニカの代理店のオーナーのムスメが「Miss.ドミニカ」に選ばれたらしい。そして、シンガポールで開かれたミスワールドコンテスト世界大会に出た。その帰りに代理店のオーナーのムスメとして東京に立ち寄り、わざわざ事務所に表敬にくるという。ミスワールドコンテストでは7位に入賞したとのことだった。オレは「オオッ」と思ったがすぐ忘れてしまった。オレのセクションではないし彼女を見る機会もないだろう。

そして某日、オレは別のセクションへ行くために事務所のフロアーでエレベーターを待っていた。やがてエレベーターがきて「チーン」という音とともにドアが開いた。そこに−Miss ドミニカ−が乗っていた。

オレはなんというか、月並みな表現だが、息を呑んだというかドキっとして凍り付いていしまった。「目が釘付けになった」とはこのことをいうのだろう。言葉や思考を超えて、そのオンナの姿がダイレクトにオレの映像をつかさどる脳の中枢にスパッと入った。

それは美しい、見たことのない、非常に美しい特別な生物だった。長身で顔が小さくすばらしい美女であるのは疑いを得ない。ただその全身から発散している雰囲気と表情が単なる美人とは全然違うのだ。後光が差しているとでもいおうか、恐ろしく感じのいい穏やかな微笑を浮かべ狭いエレベーターの中にスッと立っていた。

World Class の美女というのは、別世界の美女であることをオレはそのとき身をもって知った。そうだよな、よく考えればオリンピックレベルのアスリートと同じだモンナ。オレは勇気を奮ってそのエレベーターに乗ったのだった。

さて、ここでY氏が登場する。Y氏は中南米の担当だから彼女の東京滞在中、アテンドをする「権利!」はある。しかし、このMiss.ドミニカのアテンドは、商社の担当者も参入し奪い合いになったらしい。最初はY氏、次の日は某大手商社の担当者、その後は別途協議で妥結。双方のアテンドが終わった後、Y氏に頻繁にこのMiss.ドミニカから電話がかかってくるようになった。「セニョールY、セニョールY」と何度も事務所に彼女から電話がかかってきたらしい。これはY氏と同じセクションの後輩から聞いた。Miss.ドミニカはY氏をいたく気に入り、東京での日々の中でY氏と過ごす時間が楽しいのだった。後輩によるとそれは「気に入った」というよりむしろ「好意を寄せた」という感じだったらしい。

オレは後日、Y氏にMissドミニカとYが一緒に写っている写真を見せてもらったことがある。そこにはY氏の小学生くらいの男の子も一緒に写っていた。休日に子供をつれてMiss.ドミニカと一緒に中華料理屋へいった時の写真だ。彼女はY氏の幼い子供をとても可愛がり、膝に乗せたり抱きしめたりしたらしい。

さてオレはなぜ、中南米マフィアが他者を排除しそのポストを死守するのか、その理由のひとつを理解した。

そうか中南米にはあのレベルの美女がいるのか−これはただ事ではない。

オレは中南米マフィアの牙城に単身!切り込むべく個人で語学学校に通いスペイン語を勉強し始めた。そして多くの学生同様、ラテン系言語の文法の関所”接続法”で完全に挫折した。

コレがオレが東京で見た「もてる男」「美女」である。そして、いまもってなぜY氏がなぜあれほどまで「モテル男」だったのかよくわからないのである。

−−−−中南米に美女は多い、そしてWorld Classは想像を絶している−−−−

by フェリックス 2006年10月

 

 

 

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