アメリカの入管


わたしとブラ男は、ブラジルに来る前、アメリカ、サンフランシスコに住んでいた。そして、延び延びになっていたブラジル帰郷を決定的に決断させた2001年のアメリカ同時多発テロ事件の翌年、2002年5月にブラジルに移住した。

テロから1年も経っていないアメリカでは、まだ、今のような厳重な入管体制はできあがっていなかったが、通過するする人の中から数名が指示されて靴を脱いで厳重なチェックがなされていた。

わたし達は、ブラ男、ブラ男の弟、わたしの3名でアメリカを後にした。そして、出国検査の時にどっからどう見ても「わたしが一番イノセントやろ!」と思える、このわたしだけが3人の中で指示されて靴を脱ぎ、リオのキリスト像よろしくのポーズで金属探知機を課せられた。わたしの傍らをゾロゾロと出国していく人たちに「お気の毒〜」的な哀れみの視線を投げかけられながら屈辱に耐えていたが、今思っても傍らを通過する彼らの方が怪しい容貌だったと断言できる。同じ飛行機に搭乗する2百人くらいの人たちの中で、わたし以外に止められていたのは、金髪青い目のモデル並の容姿の20代のいかにも女ったらしのアメリカ人のお兄ちゃんで、出国検査の黒人のお姉さん達は彼に話しかけるのに夢中で、わたしのチェックはどうでもいい状態と化していた。

そして、そんな時のブラ男と弟は、自分達に面倒が降りかからないように、他人のフリをして、すっかり先へ進んでいっていた。。。(怒)

金髪の兄ちゃんのチェックにやたらめったら時間がかかったあげく、わたしの荷物チェックは、「これだけ?!」みたいな。しかも、お兄ちゃんの余韻に酔いしれている黒人女性の係官達は、その余韻が汚染されるとでもいいたそうな不機嫌さでわたしのチェックを済ませたが、まぁ、事細かに質問されたりしなかったことを白人の兄ちゃんに感謝しつつ、急いでブラ男たちの群に追いつくと、「どうだった???心配したよ〜〜〜」とブラ男。その目には、心配したというよりは、「美味しいもの見た」的な笑みが浮かんでいた。。。

さて、あれからかれこれ5年の月日が流れた先月、7年ぶりに日本へ一時帰国をすることになったわたしは、ブラジリアの日本大使館で作ってもらったピカピカのパスポートを手にブラジルを後にした。

JALの直行便で帰ることにしたが、なにぶん地球を半周するフライトだ。当然ながらNYで給油の必要があり、単なるトランジットとはいえアメリカの法律に従い入管を通過しないといけなかった。朝の早い時間帯だったため、入管に並んでいるのはわたし達の飛行機の乗客だけで、なんとなく和気藹々とした空気が流れていた。

話はそれるが、アメリカ国籍をとった外国人は、宣誓式の会場で「入国管理局で働きませんか?」というチラシをもらう。こういう訳で、空港の入管の係員はいろいろな人種であふれているのである。

そして、この日も早朝とはいえ、ブラジルからのフライトのためブラジル系の入管係官がポルトガル語で乗客の世話を焼いていた。こういう時に、わたしはお国柄というものをすごく感じる。過去の経験で日本語の話せる入管係官で親切そうな人にお目にかかったことがない。それに対して、ブラジル系の係官は、あの独特の入管の意地悪さはなく、アメリカ人専用の列がなくなるとブラジルの常識である「老人」と「子連れ客」を優先して誘導を始めた。そして、ブラジル人らしく「ベベ(赤ちゃん)はいないか〜?」を連呼している時に若い女性と目が合うと「あ〜、君はベベだけどベベゾン(大きな赤ちゃん)だね」と女好きなブラジル人らしい冗談をいっては皆の笑を誘っていた。

さて、わたしの過去の入管の経験から「係員は同じ人種の異性に優しい」という確信がある。とはいえ、入管のブースで過去に見かけた同じ人種の係官といえば「フィリピン系」しかいない。残念ながら、フィリピン系の 係官は今回の入管のブースにはひとりもいなかった。しかも、昔と違って自分で好きなブースを選んで並ぶことはできず、1列にディズニーランド状態に並んだ後、配列専門の係官が指示したブースに行かなければならなかった。そして、わたしの最も苦手とする「太った黒人の男性係官」のブースへの移動を命じられた。

別に人種差別をする訳ではないが、わたしの個人的な経験上、このタイプの係官は意地悪な人が多いような気がした。

そして、わたしの前に並んでいた気の利かなそうなおじいさんは、書類の記入ミスを指摘されてはじかれた。覗き込むと、単に半券の氏名 と生年月日の記入漏れだけなんだから、その場で書かせればいいような内容だ。だが、英語が全く通じないおじいさんに「手取り足取り教える暇はない」と嫌悪感を露にして、日本語が話せる係官を呼んで対処させた。

嫌な予感を胸にいっぱい抱えながら「ハイ」と小さな声で挨拶をしながら書類を出した。不機嫌顔の黒人の係官はわたしの顔を一瞥してTransit TO WHERE???」と声を荒げて尋ねてきた。トランジットで入管をするのは初めてのわたしは、「滞在地」の欄にただ「Transit」とだけしか書いていなかった。

Transit to Japan, right?????(日本への乗継だろ?)」

TO JAPAN】とわたしの書類にペンで書きなぐる

「あぁ、そうです」(困ったちゃん笑い)

「で、どこで飛行機に乗ったんだ?」

「は?」(ブラジルだけど)

「サンパウロだろ?!」

Sao Paulo】と書きなぐる

「はぁ、そうです」(一緒じゃん)

「ごめんなさい。こういう風になってから初めて海外に出るから〜」

この時点で、この係官は単調でつまらない作業の中で多少英語の分かるわたしをからかうことで楽しみたいんだなと察して、もうそのペースに合わせる覚悟を決めた。。。といってもたいした覚悟でもないが。。。

「ん?ブラジルに住んでるの?」

「ええ」(もうすっかりアメリカ入管とは関係ない内容である。。。)

「ブラジルで何してるの」

「家にいるだけよ」

「???」

「主人が働いてるから」

「旦那は何してるんだ?」

「イベントの照明の仕事」

「ふ〜〜〜ん」

「ほら、指紋取るから、そこに指乗せて」

そして、右の人差し指を乗せようとするわたしに

HIDARI!」

「???」

HIDARIって日本語だろ」

帰りの乗り継ぎの時に気づいたが、普段は、列の途中に立て看板で「左の指から指紋を取る」と説明されていた。しかし、早朝のこの時は、まだ立て看板の準備はなされていなかったのである。さんざん、係官を楽しませてなんとか久々の入国審査を終えたのだった。

by あっこちゃん 2007年7月

 

 

 

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