男と女の断章 Seven True Stories   第二話  ドメスティックバイオレンス - DV 

アメリカの美容学校に慣れてきた頃、生徒の事務手続きをしている職員がわたしに

「日本人が入ってくるわよ〜」

と話し掛けてきた。日本人の少ないこの学校では、「日本人が入ってきたら先輩の日本人が面倒をみてね」といった意味も含めて、数少ない日本人生徒に日本人の入学を教えてくれた。今日、手続きに来るらしいということだった。わたしともう一人の日本人生徒のユウコちゃんは、「どんな子だろうね?」と興味津々だった。

午後の授業が一息ついて、休憩している時、結構大柄な日本人と思われる男性と小柄な女性がやって来た。そのまま事務室に入り、30分ほどすると事務員の女性がわたし達にそのカップルを紹介した。大柄でスマートな男性は20代前半といった感じで丁寧に「よろしくお願いします」と挨拶をした。顔もハンサムで印象は爽やかなのだけれど、わたしとユウコちゃんは、彼の服装に目が釘付けになって、肝心の入学予定の小柄の女の子を観察する余裕はなかった。彼は、服部栄養学校の校長を髣髴させるような縦襟の白の上下でキメていたのだ。

このブラジルだったら、学校の入学手続きに父兄同伴で来たとしてもなんの不思議も感じない。けれど、日本人の感覚では、既に成人している大人が、専門学校の入学説明に父兄?というより彼?旦那?を伴ってくるなんて考えられなかった。というのも、顔の印象はなかったが、彼女は事務員の女性と流暢な英語で話していたからだ。わたしとユウコちゃんは、この小柄な女性がなにか問題を抱えているような気がしてならなかった。

当時のわたしは「マニキュアコース」を終了して、国家試験に控えて学校に来ていたが、マニキュアの試験が受かったら「エステティシャン」のコースを取る予定でいた。そして、無事 迎えたエステティシャンのクラスの初日に例の彼女がいることに気づいた。二人だけの日本人生徒だったから、当然のように彼女に話か掛けて雑談をした。彼女の名前は、「ナミちゃん」といった。

わたしとユウコちゃんが勘ぐっていた「彼女の問題」とは、こっちの大学を卒業した後学生ヴィザが切れていて、アメリカに合法的に滞在するために、この学校に入ってヴィザを取り戻したいということだった。先日一緒に来た男性は、彼女の婚約者で、親の出資でアメリカで何かしらの起業をしていて、彼女はその会社の手伝いをしているらしいが、その会社経由での就労ヴィザを取ることは難しかったらしい。

一緒に過ごすとナミちゃんは、人懐っこくて可愛らしく、ちょっと可憐な印象の何の問題もない女の子だった。

ところが、コースが始まって2週間も経たないうちにナミちゃんはパタリと学校に来なくなった。当時は携帯電話なんてないから、連絡を取るには自宅に電話をしないといけないのだが、わたしは彼女の自宅の電話番号は知らなかった。彼女が学校に来なくなってから一週間が経過すると、クラスの担任は「もうナミのことは忘れましょう」と言い出したので、慌てて、学校の事務所で彼女の自宅の電話番号を聞いてその場で電話してみた。

彼女は自宅にいて、すぐに電話に出た。そして、学校に来れない訳を打ち明けた。なんと、同棲している婚約者が彼女に暴力をふるって、顔にあざができてしまいとても外に出れる状態ではないというのだった。

そのことを担任に伝えると、担任の女性も以前の旦那からドメスティックバイオレンスを受けた経験があったらしく、いきなり親身になって彼女に電話してあれこれとアドバイスをしていた。そして、それから1週間くらい後に彼女は再び学校に現れた。

顔のあざは消えていたが、背中に痛々しい大きな青あざがあり、担任のアドバイスを受け、もしも、裁判に入った時に証拠として提出できるようにそれを写真に取って欲しいとわたしに頼んだ。こんな小柄で華奢な子を、あの大柄の婚約者が蹴ったり殴ったりしたのかと思うとぞっとしてしまった。

ナミちゃんは、今まで恥ずかしくて誰にも話せなかったことを打ち明けた。この婚約者は、どうやら日本の超金持ちの妾の子供で、かなり甘やかされて育てられて我慢ということを知らないということ。日本で公にできない立場だから、金持ちの父親が出資してアメリカで起業しているということ。ちょっとしたことが気に喰わなくなって切れると見境がつかなくなり、彼女に馬乗りになって暴力を振るうということ。

けれど、暴力を振るった後は、泣きながら「すまない」と謝るということ。。。そうかと思うと、「自分から逃げ出したらどんな所に隠れていようと探し出してやる」と脅迫するということ。。。わたしが、そんな男とはとっとと縁を切るのが身のためだと何度説得しようとしても、ナミちゃんは、「悪い人ではない」とか「かわいそう」とかぐちぐちとはっきりしないでいた。けれど、その間も暴力は続いていた。

いい加減に彼女の説得を諦めはじめたある日のこと、彼女は、今の彼から逃げ出したいとわたしに協力を頼んだ。やっと決心がついたらしかった。協力とは、仕事で彼がいない間に取り敢えずの身の回りのものを持ち出すのを手伝って欲しいというのだった。

わたし達は、それから数日の間にダウンタウンにある家具付きの短期滞在のアパートを探して、さっそく彼と彼女の住むという郊外のアパートに彼女の荷物を取りに行った。ユウコちゃんも一緒だ。ユウコちゃんが人が来ないのを玄関の外で見張って、その間に急いで荷物をまとめるという段取りだった。

アパートの中は、整然としていて、お洒落なシンプルな家具が並んでいた。クローゼットの中の彼女の持ち物も、なんらかのパーティーで使ったと思えるようなセンスのいい高そうなドレスや靴が所狭しと並んでいたが、彼女は、彼が買ってくれたというこうした品物には見向きもせずに、さっさと普段着をまとめて正味10分ほどで準備を済ませた。

子供のとき以来のかくれんぼ的なドキドキ感の中、わたし達三人は、さっさとそのアパートを後にして、ほっと息をついた。

わたし達はナミちゃんに、決して今までの彼との共通の知り合いに連絡しないようにアドバイスした。そうでないと、婚約者は、執念で彼女の居場所をつきとめそうだったからだ。ところが、ナミちゃんは、彼の法律関係の仕事を手伝っているという法律家と接触しているらしく、婚約者がどうしたああしたという情報を逆に掴んでいた。わたしは、危険だから、法律家の知り合いと接触してはいけないと助言しても聞く耳を持たない。

するとある日のこと、ナミちゃんから、「実は今、法律家の彼と付き合っているの」という回答が帰って来た。

わたしは、優柔不断だった彼女がいきなり婚約者と別れる決心をしたのを意外だと感じていたが、法律家の彼のことを聞いて妙に納得した。ナミちゃんみたいなタイプの子は、男がいないと生きていけない。つまり、法律家と仲良くならなかったら、きっと暴力を振るう婚約者とずっと過ごしていたに違いなかった。こういう子には、女性の助言がきかないというのをつくづくと確信して、それ以来、彼女のプライベートには一切口出しをしないことにした。

彼女は、それからも学校を休むことが多かったから、わたしは先に卒業してその後のナミちゃんの消息は知らないが、風の噂で日本に帰ったと聞いたような気がする。

by あっこちゃん 2007年9月

 

 

 

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