男と女の断章 Seven True Stories   第五話 チリの女 クリスタ

サンチャゴの街は落ち着いていてちょっとくすんだ印象でした。滞在はわずかだったのですが、その間ほぼ毎日天気は小雨か曇りでしたからそのような印象を持ったのかもしれません。

チリではガイドを頼んでいました。日本の旅行代理店から
ー日本語のできるガイドさんはいないので英語のガイドになるー
と言われていました。日系人の移民もすくなく、日本からの観光客もほとんどいない当時のチリには、日本語ガイドの需要はなかったのでしょう。

サンチャゴについたその日、ホテルにチェックインしてほっとしていると電話がかかってきました。それは女性からでした。

「明日 XX時に予定通りホテルにお迎えに行きますから」

と流暢な英語でその女性はいいました。

「無事に着かれているかどうか 確認のために電話を差し上げました」

「わかりました」とこたえると、「では明日にー」と彼女はすぐ電話を切りました。落ち着いた感じでしたが少し早口だったように思います。どのような女性がくるのだろうー
とちょっと楽しみにしていました。

翌朝ホテルのロビーで待っていると、黒い革のジャケットにミニスカートの女性がロビー前の広い階段を颯爽と上がってきました。彼女が私のためのガイドでした。彼女は日本人である私をすぐみつけツカツカといった感じで近づいてきて

「あなたがXXさんですね、私があなたのガイドのクリスタです」

と、歩き方同様スパッと自己紹介してきました。私よりいくつか年上そうです。栗色の髪をさっとかき揚げながら、自己紹介の余韻もなく ーさぁ行きましょう 外で車が待っていますー と促され、わたしもあわてて彼女について行きました。

ホテルのロビーから車まですこし距離があったのですが、外はかなり強い雨が降っていました。ホテルで傘を貸してもらおうと思ってキョロキョロとドアマンを探していると、クリスタはさっと自分のレザーのジャケットを脱ぎ

「さぁ これを傘にしていきましょう」

といって私の頭の上にかざしました。二人で彼女のレザーのジャケットをかぶって相合傘で車まで行きました。南米の人にしてはずいぶん颯爽として毅然とした人だなー
と思いました。顔もラテン系にしては彫りが鋭角的に深いし英語もスペイン語なまりが感じられません。

車の中で ーチリの方ですかー と聞くと、助手席から後ろに座っている私を振り返って 「いえ私はドイツ人です、でもいまはチリに住んでいます」 と答えました。私はぶしつけな質問をしたような気がして、少し恥ずかしくなりました。その時はドイツ人がすこし親しくなると、個人的なそれもかなり個人的なはなしをしてくるー というこうとを知らなかったのです。運転手は太った中年のおじさんで、彼は英語ができないらしくクリスタとスペイン語で少し話をしてはクスクス笑ったりしていてなかなか楽しい雰囲気でした。

その日は私は、旅行代理店アレンジのきまったコースとは別に行きたいところがありました。もともとのコースは何とか博物館とかナントカ大通りなのですが、それよりもアンティークショップに行きたかったのです。そのことをクリスタに伝えると彼女はちょっと思案した様子でしたがすぐ

「かまいませんよ。私もアンティークはすきですし、でもどこかの予定をカットしなければなりません、かまいませんか」

と聞いてきます。
私は「モチロン」と答え、コースの途中でナントカ博物館をカットする条件でアンティークの店に連れて行ってっくれることになりました。そこはかなり大きな数階建ての建物でらせん状にあるコンコースの周りに何十件ものアンティークの専門店が並んでいるアンティークモールでした。チリの文化のレベルの高さが感じられます。でもそこには期待していた、イギリスやフランスのコーヒーカップとかスプーンなどの小物はすくなくて、家具とか大きなランプとか、そうでなければアメリカの50年代のジュークボックスなどばかりで気に入った物を見つけることはできませんでした。

でも彼女とアンティークショップを何軒ものぞきこみ、この家具はいいとか、これは古くなくて新しいものではないか、などと品定めを一緒にするのが楽しかったからそれはそれで満足しました。そのあとどこに行ったか忘れましたが、移動の車の中でチリに来る前に読んでいた、ある映像作家のチリへの潜入ルポについてクリスタに話をしました。それはアジェンデ政権とよばれる実験的社会主義政権を武力で倒したピノチェト将軍による軍政下のチリの様子を伝えたルポで、著者は左翼系知識人として国を追われた映像作家です。

クリスタもその本を読んでいました。

「あれはその映像作家が書いたものではなくて、彼の話を聞き書きでコロンビアのガルシアマルケスが書いたものです」と彼女はいいます。

「その本をあなたは読まれたんですか?」

「ええ、」

「あなたはチリまで来てアンティークが見たいとか、ガルシアマルケスのルポの話とか
日本人とは思えませんね」

「そうですか? 日本人の観光客はどんな話をするんでしょうか」

「まずあまり話をしませんね、すくなくともガルシアマルケスの本の話はしません」

と笑いながら答えます。
その時から少し彼女と親しくなったように思います。

私が東京の代理店に頼んでいたガイドの時間は半日でした。アンティークモールも含めて2−3か所まわったらもうお昼をだいぶ過ぎていました。

「おなかがすいたでしょう これからレストランに案内します。サンチャゴは海に面していますから、マリスコス(シーフード)がおいしい」「魚料理でいいですか」

「ええ結構ですよ、おいしければ」

やがて車はこぎれいなレストランにつきました。私はメルカド(市場)のなかの安食堂で食べてみたかったのですがそうもいきません。クリスタは例の颯爽とした歩き方でレストランに入ると、よさそうな席を見つけテキパキとボーイを呼び、メニューを持ってこさせました。それを開いて料理について説明し、私の好みを聴き、オーダーを決めてくれました。

「ではこれで失礼します、あすまた8時にホテルにお迎えに行きます」

「えッ 私一人で食べるのですか?」

「すみません、昼食が遅くなってしまったのでー このあと仕事があるのです」

確かにガイドで決められた時間は過ぎています。私は少しはぐらかされたような気持ちになりましたがしょうがありません。結局レストランで一人で食事をしました。ほかのテーブルは家族とかカップルばかりで一人で食事をしていたのは私だけでした。

さて、翌朝も時間ピッタリにクリスタが迎えに来てくれました。その日はサンチャゴ郊外のワイナリーと有名なサンクリストバルの丘に行く予定です。ドライバーは昨日とは別の男性でした。20代後半くらいの背の高いとても優しそうなちょっと肌の浅黒い人でした。クリスタは車の中で彼を紹介してくれました。

「かれはIvan(イワン)といいます、 私は彼を Ivan the terrible(イワン雷帝)と呼んでいます」

と朗らかに紹介します。彼は片言の英語が出来たので、車の中で三人で色々な話をしました。チリ人は一人では気が小さいくせにグループではすぐ強気になって、ナンパをするとかの類のとりとめのない話ですがとても盛り上がりました。クリストバルの丘では、クリスタは「私はもうオバサンで体力がないから」といって途中から私一人で登らされました。ワイナリーでは、そこ専属のガイドの女性がスペイン語でクリスタに説明し、それを私に英語で伝えるスタイルです。客は私しかいませんでした。ワインの知識は通り一遍のものしかないのですが、なにか質問しなければ説明している女性に悪いと思い、一生懸命質問を考えたのを覚えています。

その日も昼を大分過ぎてからレストランに行くことになりました。クリスタは今日はカジュアルなレストランにしましょうと言います。私は昨日から考えていたことを言いました。

「それは構いません、ただ一人で食事するのは楽しくありません」

クリスタはすこし驚いた表情です。

「ドライバーの方も一緒に三人で食事をしましょう、もちろん私が払います」

彼女はドライバーとスペイン語ですこし話をした後こういいました。

「わかりました、彼と私はいまから空港へお客さんを迎えにいかなければならないのですが、彼一人で行ってもらえばいいでしょう」「私がお付き合いします」

そのあとレストランに行きステーキを食べました。
ワインをとって彼女と話食事をしながら話をしました。

「どうしてドイツからチリに住むようになったのですか?」

と聞きました。彼女はチリ産のワインを飲みながら語り始めました。お金持ちのドイツ人と若いころ結婚したがうまくいかなかったこと。最初の夫は結婚前と結婚後では態度が変わり横暴になったこと。離婚してドイツを出て、チリに来て、気にいって住み始め、スペイン語を覚えガイドをするようになったー やがてボーイフレンドができて一緒に住むようになったこと、その彼が今日のドライバーのイワンであることなど。

気がつくともう夕方になっていました。勘定をすましている間にクリスタは店に頼んで
タクシーを呼んでくれていました。彼女はバスで家に帰るといいます。私はタクシーに乗り込み、別れの挨拶をしようと窓を開けました。すると彼女は窓に顔を近づけてハンドバッグから名刺を取り出して私に手渡してくれました。

「XXさん、チリに友人が一人いるのを忘れないでくださいね」

チリの滞在は短かったのですがいろいろなことがありました。
その後チリを訪れたことはないのですが、チリは忘れられない国の一つとなっています。

by フェリックス 2007年9月

 

 

 

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