男と女の断章 Seven True Stories 

第三話 La Noche de la America −アメリカの夜−


その男とは、東京からブラジルに向かう飛行機の中で知り合った。彼は、通路をはさんだ向こう側に座っていた。私に彼が話しかけてきたのは、ロサンジェルスでの給油を終えて、ブラジルの上空に近付いてきたころだったと思う。丸い顔がよく日焼けしていて、決してハンサムではないがエネルギッシュな感じのする50歳くらいの男だった。

「お兄ちゃん、どこまで行くの?」

突然話しかけれられて少し驚いたが、ーリオデジャネイロまでー と答えた。私にとっての初めての南米旅行で、一人旅だった。その頃の東京はバブル経済の絶頂期で、何もかもが明るかった。私もその波に乗って連休に大きく休みを取り、南米への一人旅を試みたのだ。

開口健の一連のオーパものに影響されたことと、少し前に勉強し始めていたスペイン語を本場で試してみたいという目的で南米への一人旅を決めたのだった。

さて、私はこの男と話し込むつもりなかったのだが、礼儀としてこちらからも何か聞かなくてはならないと思い、ーどこに行かれるんですか?ー と聞いた。彼はチリのサンチャゴまで行くんだという。

ー それは大変ですね、

ー そうだね、サンパウロで降りてそこでチリ行きの便に乗り継いでサンチャゴまでさらに4時間。家を出てからほとんど丸二日移動していることになる

ー うーん丸二日ですか、疲れるだろうあなぁ

彼にも連れがいるとは見えなかった。日本からもっとも遠いチリなどというマイナーな国にどうして一人で行くのだろうー といぶかしく思っった。しかし、彼との会話を続ける中でそれは明らかになった。彼のほうからチリに行く理由を話してくれたのだ。それは大体こんなストーリーだった。

彼は神奈川県で小さな建設会社を営んでいる。あるとき横浜のラウンジで、そこで働いているチリの女性と知り合った。やがて彼女と付き合うようになり、そして彼女は妊娠した。彼女は赤ん坊をおなかに抱えたまま、生まれ故郷のチリのサンチャゴにもどり、やがて赤ん坊が生まれた。赤ん坊が生まれてからしばらく経つのだが、自分はその赤ん坊を写真でしか見ていない。一度チリに行って、赤ん坊の顔を見たいと思っていたが、忙しくてなかなか時間がとれなかった。やっと時間がつくれたので、サンチャゴに赤ん坊の顔を見に行く。そして自分の子供として認知する。

その話を聞きながら、私には目の前にいる中年の男性の一人旅の背景に、このようなドラマがあることが新鮮に思えた。

今度は、私がリオに行く理由を聞かれる番だった。そのようなドラマがない私は、
ー南米に興味があってー と、通り一遍の答えしかできなかった。話の流れのなかで
ー実は私もリオのあとチリのサンチャゴに行くんですー と言うと、男性は驚いてそのあとうれしそうな顔をしていった。

ー それならぜひ彼女の家に電話をすればいい、オレはそこに泊っているから、暇なら一緒に食事でもしよう

その時はリオに何泊かしたあと、チリに行く予定であり、サンチャゴ行きの航空券もホテルもすでに予約していたのだ。実はこの旅を計画したとき、リオデジャネイロのあとどこに行くか迷った。ブエノスアイレス、モンテビデオ、サンチャゴー
さんざん迷った末、ほとんど情報がないチリの首都サンチャゴに行くことに決めたのだ。

とりとめのない話を続けているうちに、飛行機はサンパウロに近付いていて着陸のためのアナウンスが始まっていた。やがて飛行機は着陸体制にはいり、お互いにシートベルトを締めなければならなかったが、彼は私の航空券の裏側にサンチャゴの彼女の家の電話番号を素早く書いて渡してくれた。彼とは機内で別れた。

降機するときに

ーお兄ちゃん、サンチャゴに来たら連絡くれよな、待っているからー

と念を押すように言っった。私はその飛行機でそのままリオデジャネイロに向かったのだった。

さて数日後、チリのサンチャゴについた。サンチャゴはブルーなリオデジャネイロとは対照的に、空は公害でどんより曇っていた。街並は聞いていた通りヨーロッパ風でスペイン系が人口の殆どを占めるだけあって、マドリッドの街の落ち着いた風景によく似ていた。小雨交じりの天気も、静かなひっそりとした町によく似合っていて、リオデジャネイロの印象とくらべると同じ南米の大都市とは思えなかった。チリ人は小柄で、ブラジル人のような人懐っこさはなかったが、カタコトのスペイン語で話をしてみると親切で感じがよかった。

サンチャゴでは、当時東京で勤めていた会社の上司がチリの代理店に私が行くことを
連絡してくれていた。そのコネで普通はみられない大統領官邸のなかをみせてもらったり、代理店の若い社員の友人同士のパーティーに行ったりした。

そしてサンチャゴの最後の日、飛行機で会った中年の男性に電話をした。サンチャゴに着いた時からどうしようか迷っていた。迷惑だろうかー と一瞬思ったのだが、その日の夜は予定もなかったし、彼の ”サンチャゴにきたら連絡をくれ” と言っていた様子が単なる社交辞令とは思えないほど熱心だったから、それに甘えて思い切って電話をすることにした。

電話に出たのは女性で、カタコトのスペイン語で彼の名前をつげるとすぐに彼に代わってくれた。彼もすぐに私のことを思い出してくれて、連絡したのをとても喜んでくれているように見えた。そしてその日の夜、私の泊っているホテルまで迎えにきてくれるという。そのあとどこかに食事に行こうと誘われた。

指定された時間にホテルのロビーで待っていると、彼がホテルの回転ドアから入ってくるのが見えた。私が投宿していたホテルは Hotel Carrera といい大統領官邸の正面にある格式の高いクラシックなホテルだった。ロビーからドアまでは広い階段になっていて、彼が上がってくる様子がよく見えた。私は彼女と二人でくるだろうと予想していたが、もう一組の男女が彼等と一緒に階段を昇ってきた。このホテルに出入りする客も訪問者も、みなエリートっぽい感じでドレスアップしていた。そのなかで階段を上ってくる彼等が周囲から何となく浮いてみえたのを覚えている。

ロビーで彼と再開の握手をした後すぐ、連れの人たちを紹介してくれた。中年の女性が彼の子供を産んだ ”奥さん” 一回り若い女性と男性がその奥さんの妹と弟いうこであった。すぐTAXIにのり、食事ができてショーもみれるグランドキャバレーのようなところに行くことになった。こちらはまったくチリの夜を知らないから異論はない。

その店の中はかなり広くて、正面が大きなステージになっている。テーブルがステージに向っていくつもおかれていて、そこで食事をしながらショーをみることができる。ライブのバンドが入っており、食事やショーの合間に踊ることもできる。面白いのは脇にひな壇のようなものがしつらえてあって、そこに若い女性がずらりと座っていたことだ。彼女たちはこのグランドキャバレーのホステスで、客の指名があるとテーブルいって話をしたり、一緒に踊ってくれたりもするらしい。このグランドキャバレーはサンチャゴでは有名らしく、大企業の駐在員も接待などでよく利用しているという。女性連れでいってもおかしくないそうで、確かに見回してみると、奥さん連れの老夫婦が何組か食事をしている。

ショーをみながら食事をしている最中、彼は気を遣っていろいろ私に話しかけてくれた。ただバンドの音楽がうるいから大きな声で短く話すのだ。

ー 弟はミゲルというんだ。いまTAXIの運転手をしている、そのTAXIは私が買った

ー 自分はチリに住むことはできない、でも家族もみな貧しいから何とかして普通の生活ができるようにしてあげたい

ー チリはいま失業率が高くて、仕事がなかなかないから日銭の入るTAXIの仕事は固いと思う

ー 彼らが一所懸命はたらけば、やがてTAXIは3台、4台に増える そうなれば生活は十分できる

私は酔った勢いにまかせて、少し前から聞きたいと思っていたことを切り出した。

ー XXXさん、でも自分の赤ん坊とはいえ、外国人女性のしかも、地球の反対側に行ってしまった女性の子供の認知のためによくチリまできましたね

彼の答えは簡潔なものだった

ー それはさぁ おれの愛した女だもの、その女がオレの子供を産んだんだから認知するのは当り前じゃないか

私の隣には彼の奥さんの妹が座っていた。まだ若いといえなくもないちょっと豊満な女性で、私がカタコトのスペイン語ができるとわかると、私の歳や名前や日本のことを
聞いてきたりした。そしてオツマミを進めてくれたり、お酒をついてでくれたり細かく気を遣ってくれる。

彼の説明によると、妹はチリの悪い男にだまされて、子供を産まされた挙句に放り出されたらしい。やがてショーの幕間となり、バンドの奏でる音楽もスローなものに変わった。食事をとっていた客も何組かステージに上がって踊っている。彼が、踊りに行こう、踊りに行こうという。そして私の耳元で

ー 妹を誘ってやってくれ、踊りたがっているから

と囁くのだった。ちょっと迷ったが、ここで踊らなかったらマズイ感じがして彼女を誘ってステージに踊りにいった。スローなバラードだったから踊れないこともない。となりで彼と ”奥さん” が踊っている。彼女は踊りの途中で私の腰にまわしている手を解いて ”チリの男は悪い、悪い” と囁き、手を頬にあてて泣く真似をしたりした。

別れるとき、彼女の奥さんが私のためにTAXIを呼んでくれた。彼らは帰る方向が逆だから別のTAXIで帰るという。TAXIが来ると、奥さんは何やら早口のスペイン語で短くドライバーに話かけ、コインを何枚か渡した。私がごちそうになった上にTAXI代まで払ってもらうわけにはいかないというと、手でそれを制止しながら、

ー チリのTAXIはボルのが多い。あなたの泊っているホテルだと金持ちだと思うから

と言った。ドライバーと値段を決めて払ってくれたのだった。そこで握手とチリ式のキスをして彼らと別れた。彼らとはもう会うこともないだろうー

その日、ホテルのベッドに横たわりながらぼんやりと考えていた。私の勤めていた会社や取引先の商社でも、海外で現地の女性とからんだ話はたくさんあった。その話は面白くはあったがー それだけだった。

所詮駐在員としての短期間の火花であり、日本への帰国を前提としているものであり、会社とか国境とかいろいろなものに彼らは守られており、相手の女性の立場は弱いものであり、了解事項としての火遊びのようなものにすぎなかった。それはそれで構わないが、そのストーリーのなかに、一点でも光るものがあったことは稀である。

チリでの彼の話には光るものが確かにあったと思う。いや確かにあった。それは

ー 愛情と、その愛情の結果に対する責任 ー

に違いないと思った。

その翌日、サンチャゴの小さな国際空港からブルーに輝くリオデジャネイロにに戻って行った。

by フェリックス 2007年9月

 

 

 

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